とても良い気付きを得たのでメモしておく。
整数 の世界では,素因数分解は一意に定まる。
つまり,
のように書けて,これ以外の形で分解されることはない。これを,素因数分解の一意性という。
一方で, の世界を考えると,この世界では素因数分解の一意性は保たれない。
具体的に有名な例を挙げると,
と分解されるが, これと異なる分解方法も存在する。
ここで, はそれぞれ, における素数であるから,これ以上分解されることはない。したがって,素因数分解は二通りのままである。
二次体の整数環を考えていったときに,一番最初に素因数分解の一意性が失われるのが,この なので,よく例に挙がるのだ。(「やり玉に挙がる」と言ってもよさそうだ。)
ここで,これの前に登場する二次体の整数環は,果たして一意性がちゃんと保たれているのだろうか,という疑問が新たに沸いてくる。
このように考えてみたところ,アイゼンシュタイン整数 (ただし, )において,反例が見つかったのではないか,と一瞬焦ってしまった。(正確に言うと,1時間ぐらい唸っていた。)
具体的に例を挙げると,こういうことである。 というアイゼンシュタイン整数を考えたときに,
のように分解されるが,一方で
のような分解も可能である。
ここで,それぞれの数が素数であるか,すなわち「これ以上分解できないかどうか」が問題である。
は素数っぽい。じゃあ, は素数でないのか?
たしかに, で割れば, となってこれもアイゼンシュタイン整数だ。
ん?あれ? で割ったということは,
とかけるということだ。すると,こうなるだろう。
ちょっと待て。
これって結局, を二通りの方法で表しているではないか!
素因数分解の一意性が失われとるやんけ!
と思って混乱したのである。
いったいどう解釈したらよいものか。
分かってみるとあっけないのだが,この考えはやはり間違っている。
では,この現象はどのように解釈すれば良いか。
まず,整数 の場合について改めて考えたい。
最初の例は,(実を言うと)以下のように表すことも出来てしまう。
一方,この式を見て「素因数分解の一意性が失われた」とわざわざ言う人はいないであろう。
この, は単数と言って「素因数分解の一意性を考える上では無視される」のである。ちなみに, も単数である。
つまり,これも
これも
これも
(本質的には)同じ分解と考えてよい,ということである。
別の言い方をすると,単数を としたとき, を素数 にかけ合わせた数 は,素数 と同じ数への分解と見なしてよい,ということでもある。
さて,ここでアイゼンシュタイン整数に戻るが, においては,単数は全部で 6 個ある。列挙するとこうだ。
ここで,先ほど の前にかかっていた数を考えると,
であるから,結局単数だったのである。
したがって,これらを とおけば,
となって,「単数がかかっていただけ」ということがわかったのである。
また,別の見方をすると, と の間には,
の関係があるので,(単数を除くと)同じ数への分解である,とも言えますね。
かくして,アイゼンシュタイン整数において,無事に素因数分解の一意性は保たれたのでした。
あー,すっきりした。
理論を追っているときは,どうしても「単に面倒なだけの単数」と思ってしまう。しかしながら,今回の例のように,ちゃんと考慮に入れないといけないものなのである。意外なところに落とし穴があるのだ。
一方で,このようなことを正確に伝えようとすると,なかなか大変であるというのもまた事実。実際,よくある「通俗書」的な文章では,単数の話は隠蔽されて,表面の面白いところだけに絞って話される。じゃあ,通俗書で興味を持ったから,いざ「専門書」を開いてみようと思うと,圧倒的な難しい記述に面食らってしまうのだ。
「通俗書」と「専門書」には,やはり大きなギャップがあるのだな,ということをしみじみと実感したのでした。
参考文献
今回の内容に相当する「専門書」といえばこれ。
- 作者: 高木貞治
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 1971/10/15
- メディア: 単行本
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「通俗書」は,そうだなあ・・・。何が良いだろう。ぱっと思いつかないので,あとで追加するかも。