続くかどうか分からないが、とりあえず1としておく。
twitter上のつぶやきが流れないうちにメモ。
「分からないが楽しい」という言葉を、もう少し正確な言い方にしたい。誰だって「分からない」より「分かった」方が楽しい。誰でも理解できるように不必要に話を簡単化しても物足りないんだと思う。今まで難解だと思っていたものが、自分でも手が届くかもしれないと思った瞬間が楽しい、のでは
— #tsujimotter (@tsujimotter) 2015, 4月 13
「分からないが楽しい」を曲解すると「わざと難解にしたものを見せて面白がる独りよがりなプレゼン」が生まれる。それは良くない。最低限聴衆に分かってもらえるよう努力すべき。ただし、聴衆に分かってもらうためだけに「本来自分が話したかった面白い話を削ってしまうのは最も愚かだと思う。
— #tsujimotter (@tsujimotter) 2015, 4月 13
さっきまでの話は自分に向けて言ってます。tsujimotterが好きな数学をもっとたくさんの人に好きになってもらいたいから、どうやったら楽しんでもらえるか考える。ただ考えただけではしょうがないから、きちんと言語化して次の機会に実施できるようにする。
— #tsujimotter (@tsujimotter) 2015, 4月 13
あと日曜数学者としては、トンデモにならないようにしたいですね。自分自身で真偽を判断できるのももちろん重要だが、限界はある。間違っていると指摘されたら、真摯に受け止めて、より良いものに改善していくことが大事。
— #tsujimotter (@tsujimotter) 2015, 4月 13
あと1つ。「誰でも理解できる分かりやすいだけの話をすること」について。価値がないとは言わないが、それを出来る人は世の中にたくさんいる。いわゆる科学コミュニケーションのプロフェッショナル人たち、教育者。あえて自分が話す意義を考えれば、自ずとそれだけでは十分ではないことが分かるはず。
— #tsujimotter (@tsujimotter) 2015, 4月 13
「みんなこうすべき」みたいな書き方をしてしまったが、どちらかというと「自分はこの部分にこだわりたい」という決意表明みたいなものです。
他人に押し付けるつもりは全然ないが、共感してくれる方が居ればそれはそれで嬉しい。