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— 水上悟志 (@nekogaeru) 2021年3月24日
「わからない」と「つまらない」「おもしろい」は本来別物で、つまらないと感じた時は興味を失って頭に入ってこなくなるのでつまらなかったの代わりにわからなかったと言いがちになると思う。
「よくわからんけどなんか面白かった」時に初めて考察が始まる。
上のツイートを読んで、これは数学のブログ記事やプレゼン動画についても当てはまることだなと思った。
まず興味を持ってもらえないと、そもそも分かってもらう土台に立てない、ってことなんだろうなと思ってます。
世の中多様なコンテンツで溢れているので。
「面白い内容なのにもったいないな」と思う記事・動画ってあるんですけど、だいたい導入部分で失敗している。
で、なんで僕が「面白い内容なのに」と思えるかと言うと、それは事前に知ってて既に興味があるからなんです。
本来伝えたい相手はそうではないはずなので、なおのこと導入が大事。
偉そうなことを言っているけど、僕は度々失敗します。
もちろん対象次第で適切な導入の方法は異なるので、僕に引っかからなくても他の誰かには刺さっている可能性はある。
ただ漫然と誰かには刺さると考えるのでなく、対象を決め、本当にその相手に刺さっているかは確認した方が良いと思う。
僕は「他人がこの文章をどう思って読むか」について思いを巡らせるのが苦手。
数学ガールの結城先生がたびたび《読者のことを考える》ということの重要性について言及していて、その話を聞くたびに「ウッ」と思っている。
僕はまったく赤の他人のことは想像できないので、代わりに「一年前の(知らなかった)自分が見たらどう思うか」と考えることが多い。
自分事だからある程度想像はつくし、同じ感性・興味を持つ人が一定程度居るはずなので、全く誰にも刺さらないことはなさそうだと思える。