「a ÷ 0 = ?」の話は度々話題になって、「0 で割ることはできないんですよ」というと「そんなことない。こうやったら割れるだろ。」と反論する人がいる。この辺の諍いが発生するのは、前提条件と論理が共有できていないからだと思う。
結局、上の下線部の主張は、以下の命題を優しく言い換えているにすぎない。
命題1:
を体とする。このとき、任意の に対して なる は存在しない。
命題1は体に対して成り立つ次の命題から容易に導ける。
命題2:
を体とする。このとき、任意の に対して 。
つまり、体という代数構造の下では、 に何をかけても 以外にはならないから、掛けて 以外になるような数は存在しない、というわけだ。それ以上でもそれ以下でもない。この「体という代数構造の下では」という部分が最も重要である。
高校までの数学においては、基本的に集合というものを考えないように思う。いや、集合は単元として扱うのだけれども、たとえば数の演算を定義する際も、数同士の関係性にのみ着目し、その演算が定義されている集合を明示的には扱わない。
一方で、大学以降の(特に数学科で扱うような)数学においては、演算は集合の上の構造として定義され、明確に集合を意識して議論が行われる。上の話も、「体」という1つの代数構造を仮定したとき、その構造が持つ1つの性質を表現した定理にすぎない。当然、代数構造を取り替えれば、上の命題1は成り立たない場合も存在するし、実際0割りを取り入れた代数構造も存在するらしい(wheelなど)。
2つの考え方の違いを知って、それを乗り越えることは一種のパラダイムシフトだと思う。大学以降の数学に本腰入れて取り組まないと、受け入れるのはなかなか難しいと思う。数学科出身ではないアマチュア数学者の中に0割りにこだわる人が多いのも、このような背景を考えると頷ける。
ここまでで言いたいことはだいたい終わったが、最近私が気づいた(これまでちゃんと理解していなかった)ポイントを紹介したい。
体の公理に積についての逆元の公理がある。つまり、任意の に対して逆元 が存在する、というやつだ。一方で、命題1は に対して逆元が存在しないと言い換えることができる。
私が勘違いしていたのは、こういうことである。逆元の公理は逆元を定義するものであって、しかしその定義している対象は ではない元だけだ。したがって、 を逆元と呼ぶのはおかしい、というものである。
よくよく考えてみると、逆元というのは逆元の公理で定義されるわけではない。そもそも、体は(単位的)可換環であって、環 において
は の逆元であるという
と定義されるのだ。あくまで、そういう性質を満たす元に対して、逆元と名前をつけるというスタンスである。
体の(積の)逆元についての公理は、 ではない元 に対して逆元の存在を述べる公理である。つまり、この時点では に対しては何もいってないのだ。
そこで、色々議論していくと、実は の逆元は には存在しなかったという結論が得られるというわけだ。これが命題1(の 版)である。