いまかんがえると、一般相対論は可微分多様体の上で展開されていたんですね。舞台の存在がわかると安心する。
相対論で「座標変換に対して不変な物理量」にこだわっていたのは、局所座標にとらわれないで、多様体上にとって本質的な議論したかったからなのかな。
ケーラー多様体は、リーマン多様体(リーマン計量を入れた可微分多様体)の複素版なんですね。そんなにとんでもなく遠い存在じゃないことがわかって、安心しました。
感覚としては、リーマン面の定義を理解したときの感覚に近いですね。リーマン面は、1次元の複素チャートが入った多様体のこと。なんだ、多様体の座標が1次元の複素平面になっただけじゃないかと。なるほど、1次元複素平面だから、リーマンが議論した複素関数論で理解できるわけですね。だからリーマン面。